海奥日语
教育不是生意,学生不是商品
快速咨询哈尔滨海奥外语耐心指导,为学员们量身定制辅导方案,有多种班型供学员选择,资深教师高水平指导,能够让学员更好的去了解日语、学习日语,针对不同水平学员,哈尔滨海奥外语均能够给予学员周到服务。以下是哈尔滨松北区日语全日制培训的相关内容。
日语高考考博等各类考试一对一辅导
《教师多年总结—内部教材》
(1)日语高考的学员
(2)日语考研考博的学员
(3)因其他原因需要通过各项日语等级考试的学员
使学员以优异的成绩通过其所需求的考试,并预备相应的听说读写等能力。
(1)所有教师至少具有海外生活学习工作三年以上经验。
(2)所有教师至少为国外相应语种专业硕士以上学历。
(3)所有教师至少具有三年以上教学经验。
(4)根据不同学员情况选派适合的教师,**为学员量身打造特有的学习计划。
(5)无论课上课下,教师全程跟踪单独辅导。
(6)课后学生如有疑问可随时通过我校特有的视频教学再次进行辅导。
(7)集合全校教师针对各项考试题库与知识点总计,更可对每个考试专项内容进行针对性辅导。
(8)在保证学生成绩的同时,更会让学生掌握听说读写等各项能力,让学生真正做到拥有相应考试水平的全面能力。
日语:王老师
大学就读于大连外国语学院阿拉伯语专业,后留学日本,毕业于日本九州大学,在日学习工作近十年,熟悉日本人文,职场,尤其擅长语法,口语,听力。 后回国任教,负责日语等级考试及口语听力训练课程,所教高考,考研,考博,出国留学学员均取得优异成绩,考入理想学府。
哈尔滨市南岗区海奥外语教育培训学校(以下简称海奥外语)坐落于铁路街与清华大街交口,占地三百一十六平方米,可容纳百余名学生学习。教室配备数字化教学设备,环境整洁优雅。海奥外语教育培训学校致力于发展哈尔滨小语种教育事业。学校教学环境优良,教育资质齐备。
海奥外语的经营理念:教育不是生意,学生不是商品!所以海奥更专业,更优惠,更负责!
海奥全体教职员工三大初心:
(1)要以称职的教师,优惠的价格,为哈尔滨市的广大学子提供优良的小语种教学!
(2)让所有与海奥合作的机构及老师获得最多的收益,生活幸福!
(3)要为哈尔滨市的贫困大学生提供免费的外语教育!
日语好比碉堡,必须同时从四面八方向它围攻:读报纸,听广播,看原文电影,听日语讲演,攻读课本,和日本朋友通讯、来往、交谈等等。
只有经过老师修改的东西才值得牢记。不要反复去看那些做了而未经别人修改的练习,看多了就会不自觉地连同错误的东西一起记在脑子里,记得多和我们这边昂立新日语的老师沟通。
可以尝试‘心译’你接触到的东西,如一闪而过的广告,看到的新闻内容,偶而听到的话语,这也是一种非常有效的学习方式。
学习日语在就业方面可以选择进外企,也可以选择外贸公司。
如果你日语足够好的话,做个日语翻译、客服都是不错的选择。
如果你的日语口语足够好的话,也可以选择日语DPO,日文录入等所有的工作都合适你。
如果你对上面的都不感兴趣的话,你可以选择日语翻译公司,做日本导游,还有对日本留学中介服务,酒店管理,文化交流等等,都是一个不错的选择。
其实在做阅读题的时候还是有一定的诀窍的。让我们举个例子来看看吧:
2003 1級 読解 文法
問題Ⅰ 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1,2,3,4から最も適当なものを一つ選びなさい。
教育の現場に携わるものとして以前からきになることがあった①。学生たちと何を議論していても、たいていだれかが「私はこう思うけれど、人それぞれ、いろいろな考えがあると思うし、それでいい」という趣旨の意見を述べ、そのとたん、議論が成り立たなくなることである。
「人それぞれ」で「何でもあり」となれば、社会問題の大半が個人の好みと選択の問題に矮小化されてしまう。ゼミでは「人それぞれ」を禁句にする②などの対策をとってはみたものの、私は学生の間に蔓延する個人志向的考え方にきちんと対峙できずにいた。そのようなとき、ある授業で学生たちが書いたりレポートを読んで、頭を殴られたようなショックを受けた。
このところ過失とはとうてい思えないような悲惨な交通事故のニュースが相次いでいる。そこで交通事故や被害者の人権について、これから免許を取得する若い人に考えてもらいたくて、二木雄策氏の『交通死』という本の読書リポートを課した。
大学生だった二木氏のお嬢さんは、自転車で交差点を横断中、赤信号を無視して突入してきた自動車にはねられて亡くなった。加害者の女性は執行猶予付きの判決で刑務所に入ることもなく、また、損害賠償の交渉も支払いも保険会社が代行した。
加害者の信号無視で被害者は命を奪われたのに、被害者は(少なくとも形の上では)以前と変わらぬ生活を送ることができるのだ。加害者に手厚い現行の諸制度は、人の命よりも車(イコール企業)を重んじる社会だとの筆者の主張には説得力があると私は思っていた。
ところが少なからぬ学生の反応は予想をしないものだった。「加害者がかわいそう」だと言うのである。被害者の立場からの主張のみが述べられているのは「客観性に欠ける」という。私は頭を抱えてしまった。二木氏の文章は、娘を失った父親の沈痛な思いがせつせつと伝わってくるものの、決して激情に駆られて書かれたものではない。むしろよくここまで冷静に書けるものだと感心するくらいなのだ。
もちろん被害者には被害者の人生がある。しかし学生たちは、その人生に豊かな社会的想像力を動かせるわけでもなく。単に、被害者側の見解だけでは一方的だと主張する。
杓子定規に客観的·中立的立場を求めなければいけないと思い込んでいるようなのだ。まるで立場の異なる二者の間で意見の対立が見られた場合には、足して二で割ればちょうどよいとでも言わんばかりに。
なぜ学生たちは、加害者と被害者の対立図式にこだわり、著者が訴える問題の社会的広がりに気づかないのか。もどかしい思いでリポートを読むうちに合点がいった。例の「人それぞれ」である。
あらゆる意見が私的なものであれば、娘の交通事故死を経験して「くるま社会」の異常さを訴える父親の主張も一つの個人的の立場に過ぎず、その意味では加害者の立場と等価なのだ。主張の対立のなかから、あるべき社会の姿を模索する努力を放棄したとき、社会正義は足して二で割るというような手続き上の公平さに求めざるを得ない。
問1 筆者は学生について①「以前からきになることがあった」としているが、それはどのようなことか。
1 自分とは考えの違う人の意見を無視して議論を進めようとすること
2 正しい議論にまとめるために、たくさんの人の意見を聞きすぎること
3 いろいろな意見を出し合うが、お互いが理解している気にしないこと
4 それぞれが自分の意見を言うが、一つの結論を導く姿勢を持たないこと